開設30周年を迎えた木の花ガルテン

 歳月の経つのは速いものです。4年に一度開催されます「梅干の祭典」第8回全国梅干コンクールも昨年秋に盛会の中、無事に終えることができました。この事は12月号のエッセイで審査会までの情況を紹介しましたが、今日はその入賞者の表彰式と、それに合わせて行ないました木の花ガルテン開設30周年記念式典について報告をいたします。
昨年5月1日午前0時より、元号は「平成」に代り「令和」となりました。令和という元号は、現存する日本最古の歌集「万葉集」から採用されました。「初春の令月にして、気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」とあります。730年(天平2)に福岡太宰府政庁の大伴旅人の邸宅で催された「梅花の宴」で詠まれた32首の序文です。作者は旅人や山上憶良などと推測されています。「令和」の元号は、序文にある「令月」と「風和」から取られました。令和の時代は、そこに暮らし生活する人たちが美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育ち経済が発展し、穏やかな時代へと成長を続けていくものと願い信じています。何よりも喜ばしいのは、太宰府は距離的にも身近な地です。しかも大山が長い年月、栽培を続けています同じ梅をテーマに「梅花の宴」で詠まれた序文の中からということです。我田引水の解釈になるかもしれませんが、大山の梅、そして梅干漬や梅の加工品などが、令和天皇と共に新しい時代の幕開けを告げているのではと、新元号に将来に対する大きな夢や希望を抱きます。そしてそれを実現していけるような時代をつくっていかなければと肝に銘じています。現存する日本最古の歌集、万葉集からすれば、赤子にも満たない大山梅の歳月だと思いますが、「田んぼに梅を植えましょう。畑に栗を植えましょう。」と大山の梅栗運動が始ったのが昭和36年でした。59年前のことです。そのころの大山は本当に貧しい農村でした。急峻な山に囲まれ、耕地にも立地にも、そして天然資源にも恵まれなく、農家一戸当りの耕作面積は、段々畑や棚田を20ヶ所も30ヶ所も合せて、ようやく40アール(4反)でした。そんな貧しさの中から一日も早く抜け出したいと、農家・組合員が心と力をひとつにして「働き・学び・愛し合う」というNPCの思想理念のもとに物と心の豊かさを求め、常に「チョッと無理かな」という実力以上のところに背伸びしながら挑戦を続けてきました。そんな当時の大山を思い、今回の二つの催事を顧みたとき実に「隔世の感」が致します。昨年11月10日(日)広瀬勝貞大分県知事様、原田啓介日田市長様、何振良中国福岡総領事ご夫妻様をはじめとした御来賓の方々、梅干コンクール小泉審査委員長他委員の方々そして木の花ガルテン事業を今日まで支えて下さいましたお取引先様、農家・組合員約130名のご出席のもとに30周年記念式典及び梅干コンクール表彰式が開催されました。その後、咲耶木花館を会場にお祝いの小宴を開き、賑やかに和気藹藹と歓談を楽しんでいただきました。ご来臨くださいました多彩な顔触れや催しにも知事さんはじめ皆様方から称讃のお言葉が聞かれ、大きな励みとなりました。これからも都市生活者、流通業界の皆様との連携と絆をより一層強固なものとして、安心・安全・健康、そして何よりも美味しいこだわりの産品の生産に取り組み提供を続けていきたいと願っています。
木の花ガルテン30周年を迎えることができましたことに深く感謝申し上げます。

木の花ガルテン30周年記念式典祝賀小宴