46年前のイスラエル キブツの生活

 先月号の続きです。46年前にイスラエルのキブツ(同国語ヘブライで「農業共同体」)に約2ヶ月間滞在した想い出を手繰り寄せてみます。
イスラエルと隣国ヨルダンの国境に位置する湖があります、この湖を死海(レッド・シィー)と呼んでます。何事も経験と私もパンツ一枚になり泳いでみました。ひじょうに濃い塩分ですからプカプカと浮きますが、バランスを崩したとたんにひっくり返ります。そして眼、鼻の孔、口の中、傷などあればヒリヒリと痛みます。この湖の辺に小高い丘陵「マサダの丘」があり、その頂上に古代ユダヤの要塞が築かれていました。西暦73年、この城もローマ軍に攻められて陥落、古代ユダヤ王国は滅亡したのです。このできごとを機にユダヤ人は国を失い、世界中をさまようことになりました。第二次大戦ではユダヤ人はドイツのナチス・ヒットラーによりアウシュヴィッツ(ポーランド南部の都市)の強制収容所に入れられて600万人が毒ガスなどによって虐殺されたといわれてます。それは自分達の国家が無いためこのような仕打ちを受けると悟り、祖先が暮していた地に、ユダヤ人国家を建設しようとするシオニズム運動(シオニズムとはユダヤのダヴィデ王の墓があるエルサレム市街の丘の名)が世界中のユダヤ人に広がり1948年にイスラエル国家が実現したのです。イスラエルは見どころの多い国です。エルサレムの小さい街の見える範囲に、かつてイエスキリストが十字架を背負って歩いて石段の道を登っていったビア・ドロローサ(悲しみの道)があります。上るとイエスが十字架に磔にされ処刑されたゴルゴタの丘があり、そこには聖墳墓協会が建てられキリスト教の聖地となってます。近くにはかつてのユダヤ教の神殿跡の「嘆きの壁」がみえ、その目と鼻の先にイスラム教の黄金のドーム(岩のドーム)もあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの一神教の聖地がまるで不思議の世界のようにそこに集っています。さて思い出をキブツに戻しましょう。
キブツの第1日目の朝、多くの野鳥の鳴き声で目が覚めました。外に出てみると初夏の気候でとにかく美しい公園の中です。花が咲き乱れ小鳥の鳴き声が多く聴かれます。キブツ、ラマトハショフェットは子どもから大人まで千人ぐらいで構成されています。居住区の約一万五千坪は、荒野の丘の上ですが、公園かゴルフ場の中みたいに芝生がはられ木も沢山植えられて綺麗に整備されています。その中心にあるのがメンバー全員が三度の食事を執るビッフェスタイルのダイニングホール、娯楽施設、会議室などの多目的建築物です。そこへ朝食に案内されました。私たちが遠く離れた東洋の国、日本から来たというので皆さん方から多くの歓迎の言葉を受けました。イスラエルの多種多様の御馳走の中から好きなものを皿に選び取り美味しい朝食を頂き、旅の疲れも忘れるほどでした。そして入居滞在手続きを済ませ、その後関係者の方々への挨拶まわりです。また滞在期間の世話をしてくれる事務所を訪問して、3人のサイズに合った作業着とズボン各2枚、肌着2枚、作業シャツ2枚、セーター1枚、靴下3足、安全靴1足を支給され1日目を終えました。
次号に続く

キブツの大物リーダー ハナン・ハレビ氏の自宅で