清楚で凛とした山桜

桜は日本の国花であり、日本人にとって特別な存在です。古くから、野生の桜の代表格といえば山桜です。
今日は四月四日(月)、雲ひとつない快晴で気温18度春の麗らかな日ざしに、陽気な花見の気分を思い出したので、桜のことを書いてみます。
町内の染井吉野と周囲の山桜が満開となっています。ところによっては散りはじめているようです。「桜」を辞書で引いてみました。中国大陸・ヒマラヤにも数種あるが、日本に最も種類が多い。園芸品種が非常に多く、春、白色・淡紅色から濃紅色の花を開く。八重桜の品種もある。古来、花王と称せされ、日本の国花とし、古くは「花」といえば桜を指した。材は均質で器具材・造船材などとし、また、古来、版木に最適とされる。樹皮は咳止薬(桜皮仁)に用いるほか曲物などに作り、花の塩漬は桜湯、葉の塩漬は桜餅に使用。また桜桃(さくらんぼ)の果実は食用にする。ヤマザクラ・ソメイヨシノ・サトサクラ・ヒガンザクラなどが普通。とあります。最近は町内でも、淡い紅や濃い紅色の美しい花を咲かせる枝垂桜も植えられており満開の見頃を迎えています。ちなみに染井吉野は明治初期に東京の染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が売り出したといわれる品種です。エドヒガンとオオシマザクラの雑種で、山桜とは縁が遠いようです。しかしその名前に「ヨシノ」が使われるほど奈良の吉野山の桜は世間に広く知られていたということでしょう。染井吉野で頭に浮かぶのが先ず有名な青森県弘前城址公園の満開の桜でしょう。元来、染井吉野は短命とされ、樹齢が50年を超えると途端に勢いが衰えるのです。それは、この種が先に述べた人工交配の品種で、病気に弱いからでした。ところがこの弘前公園の染井吉野は樹齢140年を過ぎて今も見事な花を咲かせ、弘前を日本屈指、随一の桜の名所といわしめています。それでは何故、弘前の桜の木は平均樹齢の倍という140年も元気に成長しているかです。しかも染井吉野は普通、ひとつの花芽に3~4輪の花をつけるのですが、弘前の桜は、約倍の七輪の花をつけます。樹齢も倍、花芽の数も倍という驚異的なことが起きているのです。実は弘前公園でも明治・大正期に植えられた染井吉野が、戦後になって極端に弱り始めたようです。「公園の桜は電信柱か」と市民からそう揶揄されるほどの惨状でした。昭和29年市職員の工藤長政さん(当時41歳)という方が人事異動で公園管理事務所長に赴任しました。そんなある日、事件が起きました。部下職員の一人が指示を聞き違え、一本の桜の木を幹ごと伐り倒したのです。工藤氏は烈火のごとく怒ったのですが、翌年の春になると主幹の切り口から勢いよく枝を伸ばし始めたのです。所長はその光景に地元・弘前の林檎の栽培方法を見たのです。林檎の木は一定の大きさになると、幹を伐って樹高を抑える「芯を下ろす」という剪定作業をします。そうすることで幹の切り口から若い枝が水平に伸び、木全体にくまなく陽光が当たるので、花が良く咲き実が多くなるのです。桜は林檎と同じバラ科であると考えて実験に取り組んだのでした。園芸界では昔から「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」という金言がありますので、まさに発想の転換です。そして工藤氏は林檎農家に足繁く通い、弘前公園独自の管理技術を確立して今日の名所に育てた桜守なのです。私たち「五馬媛の里」の桜もいつの日か日本一の名所となることを信じて育て創り上げていきましょう。
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