古典からの学び

組合長エッセイ4月号

従業員から慕われ、信頼される人間にならなければいけない。そうでなければ、会社は発展していかないのです。そのためには、経営者自身が人間を磨かなければいけません。私が若い頃、明治生れの人たちがたくさんいました。皆さん陽明学(明の王陽明が唱えた儒学・心学)、論語(孔子の説いた理想的秩序「礼」の姿、理想的道徳「仁」の意義、政治教育などの具体的意見)などの古典から、人間はいかにあるべきかを学んでいました。テクニック(技術・技法)を教えてもらうのではなく、人生の先達として人間とはこうあるべきだということを明治生れの先輩たちが随所で発言しており、教えられました。先月号「利他の心」稲盛和夫京セラ・KDDI創業者の続きです。

 私の郷里の鹿児島に「串木野さのさ」という民謡があります。その一節に「落ちぶれて袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知る、朝日を拝む人あれど、夕日を拝む人はない」とあります。自分が華やかだった時は皆がちやほやしてくれたが、落ち目の時は相手にしてくれない、という意味です。企業の成長もいつか止まるかもしれない。しかし、それはそれでしょうがない。それを承知のうえで、とことん伸ばしてみせようと。重要なのは、今の規模でいいと思った瞬間に成長はなくなる、ということです。私はやはり、いい意味での闘争心がない人は経営者やリーダーになってはいけません。社員を不幸にするだけだと思います。不撓不屈(困難にあってもひるまず、くじけないこと)の精神がないと務まらないでしょう。企業が発展していく場合、一般には事業の選択と集中を進めるべき、と言います。しかし私は成長するためにはあくまで多角化が必須条件だと思っています。もちろん、力が分散しますから、経営上は非常に難しく、リスク(損害と危機)も大きくなる。でもその難しいところに挑戦して成功しないと成長はありません。だからあえて多角化の道を歩みます。このように述べています。「人間として何が正しいか」と、これだけ深い思想・理念・哲学・道徳を座標軸に据えて、経営と人生を追い続けた稲盛和夫さん。松下幸之助や本田宗一郎に憧れ、寝食を忘れて仕事に打ち込みセラミックの電子部品を次々に開発していきました。猛烈に働き、好奇心と反骨精神で新しいことに挑み続けた、全身火の玉のような仕事人だったと伝えられています。烏滸がましい喩えになるかもと、恥を承知で大山の歩いてきた道を考えてみます。30年前には全国に三千余の農協がありました。それが今日では合併に合併を繰り返し6分の1の五百余の農協となっています。大分県でも平成元年には53あった農協が今は4農協となりました。では何故そうなってきたのか。それは農協という組織に、胡坐をかき安穏と泰平を過した結果ではないでしょうか。理念経営に徹し貪欲なまでに成長を求めた稲盛京セラ名誉会長との思いの差であると同時に、未来を描くことができなかったからです。それは物マネではなくそこにしかない独自性の創造でもあります。旧態依然とした農協・農業・農村からどう脱却し進化をして、そこに暮らす人たちが誇れる農村の理想郷をつくれるか、を次号で綴りたいと思います。

次号につづく

長崎 孔子廟