組合長エッセイ8月号
歴史に学ぶ
平成7年10月に出版した「プロフェッショナル農業集団」いまその冊子を開いて読んでみると28年前に上梓したにもかかわらず、新しい発見とやり残した、やらねばならないことが数多くある事に気付かされます。歴史を学ぶと歴史に学ぶは大きく意味合いが異なると思います。「歴史を学ぶ」は歴史を知ると理解するべきです、ただ歴史を知るだけのモノ知りに終ります。「歴史に学ぶ」は歴史を知った上で、自分は何をなすべきかを考え、その歴史に自分の新しい歴史を積み重ねて、より重厚な魅力ある歴史を残していくことではないでしょうか。
先月号からの続きです。大山はいつの時代も「瞳は未来へ」です。瞳は未来へというキャッチコピー(特に強く注意を引くための広告文案)を大山独自で作ったのが昭和54年(44年前)でした。当時、味しめじや梅みつ、ジャム類など加工食品のラベルに使用したのが始りです。その頃は「瞳は未来へ」は農産物や加工食品の表示としては似合わない化粧品のラベルみたい、と農家組合員からは不評でした。しかし最初に起案を治美組合長に相談すると、「山村や田舎風では駄目だ、大山は若者が後継者とし多く残り、若嫁も沢山いて常に海外に目を向けて海外視察研修も行って新しい知識を身に付けながら旅を楽しんでいる。そんな明るい農村をイメージしたものにしなさい。そして都市で暮らす人たちが安心、安全、健康を想像できる訴求力のある言葉を出しなさい。」と指示されたのでした。何度も提案したものを戻され、ようやく採用されたのが「瞳は未来へ」でした。そのキャッチコピーが良かったのか加工食品も徐々に売上げが伸びていきました。それから4年ぐらい経った頃より、農家組合員からも認知され全ての農産品パッケージや出荷段ボールにも採用されたのです。
昭和58年、農協青壮年部の有志14名が初めて中国蘇州市呉県を訪問しました。そして北京や万里の長城もみてみたいと7泊8日の行程で蘇州の視察交流した後に北京まで足を伸ばしました。視察旅行も無事に全行程が終り、空港に向かう途中に大きな古い屋敷に立ち寄りました。そこでは老人が硯と毛筆を前に置き見学者の希望した熟語を素晴らしい達筆で書いていました。もちろん謝礼金は必要です。私は「瞳は未来へ」と書いて戴きました。その墨書は農協本所の正面玄関から入った総務部の壁面に額に納まり掛けられてます。機会があれば次のことを頭の片隅に置いてご覧ください。
この瞳は未来へを書いた方は、なんと中国清朝の12代最後の皇帝「宣統帝」そして旧満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の、実弟愛新覚羅溥傑さんだったのです。今年3月に71歳で逝去された坂本龍一さんという世界的に有名な音楽家がいました。映画「戦場のメリークリスマス」や愛新覚羅溥儀の生涯を描いた映画「ラストエンペラ(最後の皇帝)」の音楽を手がけて米アカデミー作曲賞など数々の大賞を受賞された方でした。何とも不思議な縁を感じます。
「瞳は未来へ」には数々の物語りが存在してます。この言葉がこれからも大山農家農民の心に光を灯していくことを信じています。
愛新覚羅溥傑先生の自筆