NPC12月号組合長エッセイ

梅干さん達の(きょう)(えん)

 先月号「十五夜お月さま」の続きです。

 「十三夜」は旧暦の毎月十三日の夜のことです。八月十五日の十五夜の月に対して「後の月」と呼び旧暦九月十三日の夜の月を指します。今年の十三夜は十月二十七日(金)でした。その日は平成三年(32年前)に始った四年に一度、開催されます「梅干しの祭典・第九回全国梅干コンクール」審査会の日でもありました。晩秋の好天に恵まれた穏やかな秋晴れの一日でした。先月号で審査委員十名の方々の略歴を紹介いたしました。今回もそれぞれ専門の道を究められた著名な素晴らしい先生方に、厚顔無恥を顧みずにご無理を承知の上で審査委員をお願い申し上げました。皆様方、超ご多忙の中に時間を割いてくださり、遠路審査会にお越しくださりました。感謝の念で一杯です。その日は十名の先生方に、午前十一時までに「木の花ガルテン」に到着していただきました。そして報告書冊子を作成するために、先ず専門のカメラマンに一人一人の写真を撮っていただきました。場所は喫茶として利用しています「咲耶木花館」です。写真撮影のあと、そこで先生方の自己紹介をしながら、「農家もてなし料理」での昼食会です。その後、審査会場となっています、農協本所二階ホールに移動です。若い人たちは農協会館の歴史を知らないと思いますので、すこしだけ綴ります。治美名誉組合長の時代、昭和六十一年(三十七年前)に建設したものです。一階が事務所で二階は二百余名収容のホールと会議室、調理実習室となっています。特に二階ホールは当時、宮城県の中新田町が田園の中に音響に贅を極めた超一流の音楽ホールを建設、世界中の一流アーティストが演奏に訪れるということで話題になっていました。その施設は「バッハホール」と名付けられてました。そこを参考にして大山もすこしでも近づけたらと、音響と照明に贅沢をしたつくりにしてます。当時、治美名誉組合長は「ミニバッハホール」と呼びなさいといってました。そして「他は補助金をもらって事務所を建てるが、大山は自己資金で建設している、誇りにしてよいぞ」と言われ私たちに誇りと励ましと自尊心を与えてくれました。三十七年経った今でも沢山の電球をつけた大きな6本のシャンデリアは自由に上下できホールは光輝いています。会場に着いた先生方は、ホール前のエントランスホールで審査基準と進め方等についての説明会を行いました。そして統一した透明の容器に入れられた梅干し、一,六一八点が一ミリも狂わず整然と陳列された、会場の大きな扉が開けられます。初めて会場に入った先生方は「アッー」「ウォーッー」と驚嘆の声を上げました。そして携帯カメラを取り出して会場内と梅干しさん達を一斉に写真撮影です。シャンデリアの輝く美しいホールで、音響に配慮したクラシックの音楽が優しく耳に響きます。出品された真っ赤に色づいた梅干しさん達も和やかに頬を紅く染め、気持ちよく心を弾ませ楽しく踊っているようです。審査委員長の小泉武夫先生は次のように述べています。「戦後の苦難と欠乏の時代、日本人の心を支えてきたのは、この赤くて小さくて光り輝いている梅干しでした。今こそ日本人は、この小さな赤い玉に感謝を込めて、ここで今一度、梅干しを見直しながら畏敬の念を抱きましょう」。生産者、生活者の方々が梅干しの魅力で日本の良さを再発見する機会と情報発信ができ、更に若い人たちに梅干しの良さと魅力を継承した機会であったと思っています。

次号へつづく

6本のシャンデリアが輝いている審査会場