令和6年NPC10月号組合長エッセイ
山は青き故郷 水は清き故郷
「兎追いしかの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷如何にいます 父母 恙なしや友がき 雨に風に つけても 思いいずる 故郷 こころざしを はたして いつの日にか 帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」
1914年(大3)の尋常小学唱歌で発表された、辰野辰之作詞、岡野貞一作曲の文部省唱歌の「故郷」です。
恙ない―病がない、息災である、無事である。
友がき―友だち、朋友(交わりを結ぶのを、垣を結ぶのにたとえていう)
お二人はその二年前にも「春の小川」という唱歌を出しています。
「春の小川は サラサラいくよ 岸のすみれや れんげの花に すがたやさしく 色うつくしく咲けよ 咲けよと ささやきながら 春の小川は さらさらいくよ 蝦やめだかや 小鮒のれ群れに 今日も一日 ひなたで泳ぎ 遊べ遊べと ささやきながら」
私たち子供の時代は、この唱歌のような情景が、農村の日常生活の中で当り前でした。しかし今はこのような懐かしい子供たちの遊びの姿に出会うことは無いようです。時代の流れとはそのような事でしょうが、何となく寂しさを感じずにはいられません。日本人に限らずでしょうが、人生の中では「忘れがたき故郷」はなくてはならないものです。また必要、不可欠な大切な心の支えではないでしょうか。農村に子供が多く戻り次々と生れ育ち、ワイワイ、ガヤガヤと野山を駆け回ったり小川に入り沢山の魚や川蝦、沢蟹、蜆貝、山に入っては昆虫などの生きものを観察したり戯れたり、捉まえたりして日の暮れていることも忘れ夢中で遊んでいる、そんな子供たちの日常生活と成長が戻ってくることを望みます。そして賑やかな村のお祭り、ドンドンヒャララ、ピーヒャララ。老若男女(年齢・性別に関わらず、あらゆる人)が集い、また里帰りした人たちもお祭りの輪の中に入り、故郷のお祭りを楽しみます。農村の真中にドップリと身を沈めて、村の愉快な仲間たちと、いくつもの車座をつくり、行ったり来たりして、旧交を温めながら過し日の想い出や、家族や村の未来への夢や希望を、方言丸出しで熱く語り合います。その席には、美味い地酒と、手造りの美味しいご馳走が沢山と出されています。それらの料理に舌鼓をうち、地酒を酌み交わし、村祭りの懇親と歓談は延延と盛り上がります。そのような楽しくも懐かしい佳き時代の村祭り、そして活力に満ちた魅力に溢れた故郷、農村。若者が住みたくなる農村の復活を待ち望み願ってます。また創り上げていかなければなりません。アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が存命の頃、日本人記者団との会見の際に「あなたがもっとも尊敬する日本人は誰ですか」と質問され、大統領は即座に「それはウエスギヨウザンです」と答えたといいます。ところが、残念なことに、日本人記者団の方が上杉鷹山という人物を知らず、「ウエスギヨウザンて誰だ」と互いに聞きあったというエピソードがあります。上杉鷹山は江戸時代末期、約270年前の米沢藩(山形県南部)のお殿様です。鷹山については次回に詳しく綴ります。
次号につづく
平成6年(30年前)の大山ふる里まつり