歌聖・西行の桜

令和7年組合長エッセイ5月号

今年は桜の花の時季が長かったように感じます。ただ樹に咲いている花の数は例年より少ないように感じたのは私だけでしょうか。この現象は近年の地球温暖化と異常気象の影響によるものなのかこの先が心配されます。

願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ

訳<願うならば春に桜の花が美しく咲く下で死にたいものだ。それも、あの釈迦が入滅なさった旧暦2月15日の満月の頃に>と、桜に魅せられた漂泊(一定の住居また生業がなく、さまよい歩くこと)の歌僧である西行の残した名歌です。

平安末期1118年から鎌倉初期1190年の大動乱の時代を生きた西行は、深く桜に魅入られ日本各地を旅して73年の生涯に数知れないほどの桜の歌を詠んでいます。そして、その願い通りに文治6年(1190)2月16日に没しています。

ききもせず たはしね山の桜花 吉野の外に かかるべしとは

訳<噂に聞いたこともなかったけれど、吉野の桜のほかに、束稲山のような素晴らしい桜の景色があったとは>全山が見渡す限りの桜という束稲山は岩手県平泉の中尊寺から眺めたものです。

あくがるるこころはさても山桜 散りなん後や 身にかへるべき

訳<山桜に憧れ、我が身から抜け出た心はどこへ行ったのか、桜が散ったら、この身に戻ってくるのだろうか>

今も文学史において傑出した支持を得ている西行の人生は、様々な伝説に彩られています。それだけ人間的な魅力に富んだ人物です。西行ほど桜の花を愛した歌人もいないでしょう。生涯で2000首以上の歌を詠み、そのうち230首ほどが桜の歌でした。

今の時代も名桜を守り育てる人々が居ます。「花咲爺さん」とか「桜守り」と尊敬をこめて呼ばれてます。人が桜に愛情をそそぎ手入れをしてこそ桜は美しい花を咲かせます。青森県の弘前城のお濠を鮮やかに染め上げるように散ったソメイヨシノの花びら。北日本の春を代表する風景です。けれどもよく考えると不思議です。これほど大量の花びらを散らしながら、頭上の桜はなお、枝が見えないほど花を残してます。ソメイヨシノは普通、ひとつの花芽に3~4輪の花をつけます。しかし、弘前公園の桜は多いものは8輪。平均でも5輪つけます。“一般とは何かが違う”と感じるのはそのためです。散った花びらでお濠の水面をピンクの色に変えて、散っても散ってもまだなくならない花。この花の多さを可能にした管理技術技能こそ、弘前公園を日本随一の桜の名所にした桜守りの力量でしょう。園内には樹齢100年以上のソメイヨシノが約400本あります。愛情と情熱をかたむけ、知恵と工夫で適切な管理を施せば樹齢を延ばすことは可能なのです。では、何故そのようになったのか、この弘前公園の「チーム桜守り」の詳細は次号で綴ります。

次号につづく

樹齢140年のソメイヨシノ