種を蒔かなければ芽は出ない
令和7年組合長エッセイ8月号
先月号で、戦後の日本が情報化社会という言葉を使い出したのは昭和50年頃からで、大山農協が村内の全ての家庭に電話と音声放送で自主制作番組を流せる有線放送システムを開設したのが昭和32年でした。大山はその20数年前に大山独自の情報化農村社会づくりを歩きはじめていたのです。と綴りました。私はこの有線放送の情報提供により、住民全体の民度(生活や文化の程度)の伸長に大きな役割りを果たしたと思ってます。貧しかった農村から一日も早く抜け出したいと農家組合員が心と心をひとつにして「働き・学び・愛し合う」というNPCの思想理念のもとに、豊かさ、優しさ、楽しさを求めて、皆で明るい農村づくりに励んできました。先輩方はいつの時代も大きな夢と希望を描き、背伸びしながら挑戦を続けてきました。夢や希望は誰でも描けるけれど、大事なことは「志の高さ」です。志が無ければ夢は実現しません。「夢は見るものではなく叶えるもの」です。いま少し気になっているのは他と違う大山のDNA(遺伝情報)が壊れはじめているのではないかということです。冒険をしない、夢を描けない、稼ぐ力を養わない、考えない、行動ができない。それではいけません、未来を見据えて夢を語り合い、実践と行動を起こさなければ、夢は見るだけで叶うことができません。実践あるのみです。
大山の歴史を振り返ってみれば、先輩方は10年から12年の間隔で、常に新しい基軸(物事の基本・中心となるもの)を創造して、未知への挑戦を繰り返しながら変遷を重ね続けてきています。大山の特徴は先進地を見たり、聞いたりの視察研修は積極的に続けてきましたが、決して物真似ではないということです。大山の農業者や村に住み暮らす人たちは、農作物の種を蒔くと同時に、自分の中に知識という種を蒔き、自分を磨き心を耕し、地域づくりをしてきました。村の古老からよく聞かされました、種を蒔かなければ芽は出ないぞという言葉は今でも強く心の中に残っています。そのように古老からは??咤激励されながら苦悩と苦労を重ね、新しいことへの挑戦を繰り返してきたのです。そんな積み重ねられた経験や知識が新たな知恵を生み、また次への道へと誘うのです。私は常々、若い人たちに伝えているのです。様々なところで知恵を出せ、知恵を出せとよく聞きますが、経験も知識も無いところから知恵は出ません。そうです大山は他に先駆けた情報化農村社会を歩いてきたからだと思います。知らず知らずに村中の人々が知恵競べをするまでに、豊富な経験と知識を備えるまでに育っていたのです。幸いなことに大山には諸先輩が築いてきた国内外の多種多様な人たちとの繋がりがあります。血縁を越える親戚以上の応援団が大勢います。これからもそんな皆さんの力を得て広い視野で競争力を付けて新しい成長分野に着手して未知への挑戦を続けなければなりません。
先輩の方々は、貧しく苦しい時代の中でも楽園の夢を描き仕事を楽しんできました。その楽しみの渦の中に周囲を巻き込み、愉快な仲間たちと、イリコを肴につまみながら湯呑み茶碗で焼酎を酌み交わしながら、子や孫や家族、自分そして村の将来の夢を語り合い、今日の大山を築いてきたと思ってます。
