ひとつの宝物
令和7年11月組合長エッセイ
垣添先生は第7回全国梅干コンクールの審査日、福岡空港に出迎えた職員の車で11時に木の花ガルテンに到着です。そこに10名の審査員が揃い、昼食会では木の花ガルテンの農家もてなし料理をご笑味頂きました。そして農協本所2階ホールで審査の始りです。その時の感想を先生は「実際の審査会場に足を運んで、煌々とした照明のもとに整然と並べられた1,302点の梅干群を眼にしたときの驚きと感動は忘れられ難い。一点一点の出品作の背後にある、生産者の情熱も同時に強くインプットされた。審査に当たっては、まったくの私見で梅干しの色と大きさと香りと味で絞り込んでいったが、実に興味深い体験だった。最後に熱々の白い御飯とともにいただいた入賞した梅干しの美味しかったこと!日本に生れて良かった。そして、こんな貴重な体験に感謝する」とありました。こちらこそ先生に感謝を申し上げます。
広瀬知事には高邁な医師に、梅干コンクールの審査委員をお願いするとは失礼ではないかと注意を受けましたが、その後も令和元年の第8回、令和5年の第9回と審査委員をすでに3回お願いしてます。更に大分県内の農協で設立の農家組合員の病院、大分県厚生連別府鶴見病院の顧問にもなっていただき、病院祭での記念講演、医師や看護師、職員などの研修講演もお願いしました。鶴見病院は同敷地内に健康管理センターがあり、皆さん方も定期健診で何回も受診に行かれたと思います。県内でも有数の総合病院です。医師が50余名、薬剤師、看護師、保健師、医療技術師、事務員などで500余名、ベッド数も280床の大きな病院です。しかも終末医療の緩和ケア病棟や介護老人保健施設等も併設しています。そのような病院に垣添先生を案内して、病院理事長や院長先生などと初対面の挨拶をして顧問就任をお願いする時の事でした。当時の藤富豊院長先生は直立不動で普段では見られないような態度と言動での対応でした。後日、院長先生にそのことを尋ねると、「それはそうですよ、普段であれば会話もできないような雲上人です、緊張しますよ」こう応えてくれました。広瀬知事、藤富院長からの評価対応で、なるほど大山も凄いお方と出会えたものと、只只驚き感謝の念でいっぱいでした。それからもうひとつ、3年前の3月頃垣添先生から「ヤハタさん湯布院の中谷さんと溝口さんは、幾つになられますか」と問われたので、「お2人ともに88歳です」と応えると先生は「それでは私たち2人で88歳、米寿のお祝いをしましょう」と提案されました。お2人とも「有難いけれどいいんかえ」と恐縮されましたが日程を5月連休明けの7日(土)の夜と決め私は準備をすすめました。場所は中谷さんの亀の井別荘の敷地内にある雪安居です。お祝いの御膳は木の花ガルテンの田舎料理をおせちの重箱に詰めて、飲み物等も全て持ち込み両夫妻を招いて、米寿のお祝いを致しました。遠方より駆け付け、お2人をお祝いする垣添先生の温かい心を改めて感じる一夜でした。この事は令和4年6月から8月の3回のエッセイで詳しく紹介してます。金言にあります「実るほど頭を垂るる稲穂かな」=(学識や徳行が深まると、その人柄や態度が謙虚になること)垣添忠生先生と接して深くそう感じてます。先生は「大山の宝のひとつ」と言っても過言ではないでしょう。今後もご健勝でご活躍をお祈りします。

日田リベルテで映画上映終了後にトークショーをする垣添先生

