花より団子
令和6年NPC4月号組合長エッセイ
昭和36年(63年前)に始めたNPC運動というのは、大山独特の農家・農業経済に対する教育であり、農村文化・社会教育でもあります。そして農業や労働に対する生産意識の改革改善でもあります。この運動を繰り返し、繰り返し階段を昇るように前にすすめていけば、地域住民それぞれがもたなければならない、人と暮らしと生活の理念が育っていくのです。地域住民にとって必要な運動であるとともに、人間としての真理を求めた運動でしょう。治美名誉組合長は当時の若い農協職員に次のように諭して地域住民への語りかけを教えてくれました。『そのような思想理念であり、哲学でもあるような真理運動をムラの人たちに難しい言葉で説明しても、「そら、何かい、そげなーむずかしいことは分からん」と取り合ってくれないだろう。むしろ嫌われるだろう。集落に出て、この運動を説明するときは「何か一つ宗教を勉強しませんか。仏教でも神教でもキリスト教でも何でも良いでしょう。宗教は心の運動でもあるのです。」そう話をすれば、何程と頷くであろう。「譬えにいう、花より団子とはこのことだ」と。』大山の村おこし運動で教えられた、もうひとつ強く印象に残っている教えがあります。それは、「大山は優等生教育という不健全なことになってはならないということだ。指導者の立場からすれば、教えれば何でもすぐに理解ができる、実践活動も難無くこなせる。このような農業者が優等生だ。教える者にとっては容易いことであり、容易に前に進んでいくので優等生教育に埋没する恐れがある。そうなると私のような劣等生との格差はますます深まってしまい、村内に二重構造あるいは三重構造ができるようになって、農業者仲間のなかに不安定な、いろいろな障害が出てくる可能性がある。農業協同組合の基本は、そのようなことがないように協同の力で発展すべきものと思うが、この大事な基本を忘れてしまって、むしろ単なる官僚的な指導機関になってしまう心配がある。農協として農家・組合員の落ち零れがなく、皆で面白可笑しく、楽しく豊かに発展していくことがとても大事なことだ。」とも語っていました。そしてこの運動に大きく貢献したのが、昭和32年(67年前)に全国で二番目に開設された農協の有線放送OYHKです。先月号で紹介しましたように、農協貯金が二千万円から五千万になれば有線放送を開設する、という約束が実現したのです。機械設備や電線等の備品は農協が負担しました。村内に張りめぐらす電線を支える電柱は各集落が調達拠出して立てることから始りました。間伐の杉や松、栗の木を伐ってくる者、中には孟宗竹を伐ってきてこれに電線を張りました。そんな手造り同然の粗末な施設の有線放送が開始されました。そうした中での番組は自主製作番組が基本です。行事のお知らせや営農指導そして朝と夕に、治美組合長が毎日欠かさずに5分間前後で営農や文化、生活等の幅広い分野で大山の将来像を歯切れよく弁舌さわやかに村人に語りかけたのでした。日本で「情報化社会」という言葉を使い出すことに先駆けて、大山はその20数年前に大山流の情報化農村社会を歩き出していたのです。この有線放送が大山の民度の底上げをしてそこに暮らす地域住民の心を育んできたのだと思っています。継続は力なりでこの運動を継承していきましょう。
開設当時の有線放送の町内電話交換台