令和6年NPC11月号組合長エッセイ
為せば成る 為さねばならぬ 何事も
先月号の続きです。アメリカのジョン・F・ケネディ大統領のもっとも尊敬する日本人「ウエスギ ヨウザン」とは、どんな人物なのでしょう。私なりに調べ少しまとめてみました。戦国時代の越後(新潟県)を領し、加賀・能登に勢力を張り、200万石を超える収入を得て、義侠に富み、兵略に長じ、小田原北条氏や甲斐の武田信玄と幾度も戦ったあの有名な武将、上杉謙信(約500年前)。謙信亡きあと二代景勝の時に豊臣秀吉によって会津(福島県)120万石に移され、さらに関ケ原の戦いのあと徳川家によって米沢藩30万石(山形県南部)に減封される。それだけでなく次の代の失政により、半数の15万石に減らされ米沢藩は困窮壊滅の危機にありました。九州の日向(宮崎県)高鍋の秋月という3万石の小大名の家に生れた、上杉鷹山はそんな厳しい状況の中に縁あって10歳で上杉家の養子に入り、17歳で藩主の座につきました。このままでは藩はいずれ野垂れ死にするだろうと、他家より養子に入り若くして藩を継いだ鷹山です。彼は改革と再生に着手して、次々と生じる大きな困難と課題を克服して藩財政を立て直しました。それだけでなく、そこに暮らす領民一人一人の心の赤字を消し、人々の胸にもう一度、「他人への愛と信頼という心の黒字」を取り戻したのです。鷹山は幕府への領地返上を考えるほどの財政危機に瀕していた米沢藩を斬新な藩政改革と藩士の意識改革、そして子弟を育てる藩校、興譲館を設立しました。また費用を省いて質素な生活をする節倹の励行、行政を刷新して産業の奨励に努め、荒れた土地を農地に開拓、そして地域に暮らす人々を富まし、村を豊かにする作物の奨励をしたのです。ケネディがみたのは、日本の政治家として何よりも国民の幸福を考え、民主的な政治をおこない、改革は単なる赤字を消すことではなく、民を愛する思想にもとづき民の心を蘇らせ、やさしさと思いやりに満ちた「美しい心」の地域づくりに目標をおいたものでした。そして「政治家や上に立つ人は清廉潔白・潔癖でなければならない」といって、その日常生活を、文字通り一汁一菜と木綿の着物で通し、トップである殿様の鷹山の姿に、自分の理想とする政治家の姿をみたのでしょう。その鷹山の三助の教えが次の言葉です。
1.自ら助ける、すなわち自助。
2.互いに近隣社会が助け合う互助。
3.藩政府が手をのばす扶助。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
「学問と今日とは二つの道ではない」今日というのは現実という意味で、現実に役立たぬ学問は学問ではないという意味です。そして「やる気のある者は、自分の心に火をつけよ。その火を身近な職場の中で次から次へと他に移せ」ということでありました。
私たち大山で暮らす住民も基本理念は同じです。「働き、学び、愛し合う」この火種を消すことなく、更に次の世代へと大きな火が燃え継いでいくように願ってます。
鷹山の残した尊い遺訓