汗をかかずにつかんだ金は身に付かない
令和7年NPC4月号組合長エッセイ
3月号からの続きです。村上会長からは定期的に連絡がありお会いしてました。「セゴちゃん出て来んかえ」と携帯に電話が入ります。呼び出されるのは決まって火曜日でした。それは青果市場が日曜日と水曜日が定休日のため前日の火曜日となるのです。そして必ず二次会、三次会となります。ピアノ演奏のもと右手にマイクを握り、左手でリズムを取りながら、独特のスタイルで10曲ぐらいは必ず楽しそうに歌ってました。亡くなる3ケ月前の6月11日(火)に最後となった食事を一緒にして二次会に行った時は、今までとは違ってました。いつものようにピアノ演奏で歌ったのですが、その日は3曲ぐらいで歌うのをやめました。そして普段ですと必ず午前様(帰宅が深夜の12時過ぎ)になるのですが、この日は11時頃に「セゴちゃん帰るか」と御開きにしました。90歳を過ぎたある日「セゴちゃん運転免許を更新するんじゃあ」といいます。「会長それは無理でしょう」というと「それがくれるんじゃあ」と言い、車も買い替えたとの事でした。「運転手さんが喜ぶでしょう」というと、運転手はいなくて自分で運転をしているというのです。驚きました。07年(平19)奥様に先立たれてからは一人暮らしで毎日、自分で洗濯もしてご飯を炊き、豆腐とワカメのみそ汁を作り、梅干漬とイワシの煮付け一尾で朝食をすませ、毎朝5時には自分で車を運転して市場に出勤しているのです。梅干漬は毎年、収穫期になると電話が入り大山梅を所望して会長の食べる1年分20kgを買って自分で塩漬、土用の頃に三日三晩の天日干し、更に紫蘇漬にして本物の梅干漬をつくってました。しかし今年は「セゴちゃん今年は梅はもうよかろう」といって漬けませんでした。イワシは隣接の魚市場より週に10尾ほど買って自分のこだわりの味付けで煮付けていました。会長の幅広く奥深く、独特の語り口で示唆に富んだ蘊蓄(知識を深く積み貯えている)ある話が聞けなくなったと思うと、寂しく悲しくなると同時に寒風の中に立たされた気持ちです。5年ぐらい前のある会場でのことでした。広瀬勝貞大分県知事(当時)も主賓として出席されてました。知事挨拶のあとに村上会長も壇上で挨拶に立ち、こう述べました。広瀬知事を指差して「広瀬さん、あんた最初の選挙の時は危なかったもんなあ、あん時にトンちゃんから『トシちゃん広瀬君が負けそうなので応援を頼むよ、ワシは広瀬君に恩があるのでどうしても当選してもらわにゃいかんのじゃ』と言われトンちゃんから頼まれれば断る訳にもいかず、ワシが応援したからあんたは何とか当選したんじゃ、ワシが応援しなかったらあんたは負けてたでえ」と。トンちゃんとは村山富市元総理大臣のことです。二人は幼少の頃から近所住いで「トンちゃん」「トシちゃん」と呼び合い育ってきたのです。広瀬知事はニコニコしながら聞いてました。相手に嫌がられ憎まれるでも無くあのような機転の利いた和みの挨拶ができるのは村上会長ならではです。若い時から苦労された積み重ねられ磨かれた奥深い人徳ではないでしょうか。先にも述べましたが一語一語諄々訥々として独特の語り口で話される方でした。そこには一種のいいがたい、何ともいえない魅力と趣があり、聞く人に時の過ぎゆくことさえ忘れさせてました。まだまだ語り尽くせません。「汗をかかずにつかんだ金は身には付かない」会長の残した言葉です。そんな言葉には説得力がありました。村上会長ほんとうにありがとうございました。深い尊敬と感謝とお礼を申し上げます。

左より広瀬知事、組合長、村上会長 木の花ガルテン30周年祝賀会(令和元年11月10日)