令和7年組合長エッセイ6月号
桜伐る馬鹿・梅伐らぬ馬鹿
先月号、桜の話しの続きです。
ソメイヨシノは普通、ひとつの花芽に3~4輪の花をつけます。しかし、弘前公園の桜は多いものは8輪。平均でも5輪つけます。ソメイヨシノは短命とされ樹齢は50~60年とされてます。それは、この種が人工交配で生れたもので、病気に弱いからです。しかしこの公園の一番の古木は明治15年に植えられた、現存する日本最古のソメイヨシノです。樹齢140年となりますが今なおひとつの花芽に、6輪の花をつけて見る人を感動と喜びの境地へと誘ってます。では何故そのような技能技術の「桜守り」が現れてきたのでしょう。そこには市職員の工藤長政という方が昭和29年に人事異動で公園管理事務所長として辞令が下りた時から始まります。ある日、事件が起きました。職員の一人が腐った木の枝を落とす作業の中で、指示を聞き間違え一本の桜を幹ごと伐り倒してしまったのです。烈火のごとく怒った工藤所長でしたが、翌春には不思議な現象を目にしました。その伐った木の主幹の切り口から新しい芽が勢いよく出て枝を伸ばし始めたのです。その光景を見た工藤所長は驚くと同時に考えました。弘前の林檎の栽培方法を連想したのです。地元の弘前は林檎の一大産地です。そして林檎の木は一定の大きさになると、幹を伐って樹高を抑えます。これを“芯を下ろす”といいます。桜は林檎と同じバラ科の植物です。だが園芸界では、「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」という金言があります。それからは市内の林檎農家に教えを乞うために足繁く通う工藤所長でした。これが弘前公園を日本有数の桜の名所に変える運命の分岐点だったのです。太陽の光が満遍なく差し込むように、古い大きな枝を躊躇なく伐り落として、若くて元気な枝を伸ばし育てていけば、美しく多くの花弁をつけた大輪の花を咲かせると考えました。そんな健康な桜の木を維持保全していくためには、大きな枝を伐り落とし剪定したあとにも、幹や枝、葉や根にも雑菌・害虫予防のため薬剤の散布や、肥料を施して根の張りがよくなるように土壌改良するなど木目細かい対策を行ないました。こうした桜の管理方法は全て林檎農家から学んだものです。そうです農家より教わった林檎の栽培技術で、老木に活力を与え再生させたのです。日本屈指の桜の名所・弘前公園に育て上げ、訪れる人々の心に深い感動と喜びを与える「チーム桜守り」が生れ育ったのでした。桜は地方によっては“種まき桜”“苗代桜”“田植桜”という言葉が残っているようです。「桜は稲と共に歩んできた日本人の暦代りだった」という学者さんもいます。古来日本人は、桜の木には神が宿っていると信じ、桜の花の咲き具合で、吉凶や作物の豊作不作を占ってました。そして桜は国花です。時には詩歌に詠まれたり、絵や工芸品に描かれたり、菓子に用いられたりと、様々な形で日本の文化や暮らしと深いかかわり合いを持ってきました。私たち大山も梅や李の栽培で60年以上の技能・技術の積み重ねがあります。弘前公園のチーム桜守りを見習い、常にチョッと無理かなというところへの挑戦が求められます。
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大山の梅守り、森文彦さんの梅の剪定作業