先駆けた情報化農村社会づくり

令和7年組合長エッセイ7月号

 桜の花を話題に5月、6月号と続けて綴りましたので、すこし話題を変えます。大山農協が設立創業したのが昭和23年4月でした。大分県内には当時303の農協が設立されました。その県内の農協も吸収合併が繰り返されて、現在では大分県農協、べっぷ日出農協と大山の3農協となってます。全国では13,300の農協がありましたが、同じように吸収合併されて480余農協となりました。そして更に吸収合併は進むようです。では何故、そうなってきているのか、そして何故まだ進むかを真剣に考えなければならない時期に来てます。大山は去る6月7日(土)に大山文化センターに髙木政幸大分県西部振興局長、椋野美智子日田市長を来賓として出席いただき第77期大分大山町農業協同組合通常総会を開催し、提出の8号議案を全て承認をいただきました。お礼を申し上げます。77期を賀寿で譬えますと喜寿のお祝いです。大山のような条件に恵まれない貧しい寒村が今のように合併もせずに、単独で存続できているのは77年前より諸先輩方が知恵(物事の理を悟り適切に処理する能力)を出し創意工夫(独創的なアイデアを見出し、新たな方法を考え出すこと)をこらし情熱をかたむけ懸命に努力された大山独自の遺産だと思っています。一昨年の8月号エッセイで歴史を学ぶ歴史に学ぶは大きく意味と解釈が異なると綴りました。歴史を学ぶは歴史を知ると理解します。ただ歴史を知るだけのモノ知りに終ります。歴史に学ぶは歴史を知ったうえで、自分は何をすべきかを真剣に考えて、その歴史に自分の新しい歴史を積み重ね更により一層重厚な魅力ある歴史を次の代に残していくことではないでしょうか。大山農協が単独で存続しているひとつに昭和32年に全国で2番目に開設された有線放送があると思います。まだ村内には数戸の家庭にしか電信電話公社の電話がなかった時代に、全戸の家庭に自主番組放送と町内電話が無料で使用できる有線放送の施設が開設されました。受話器のついた昔のラジオぐらいの大きさの箱型のスピーカーから放送は流れ、町内の家どうしで便利な電話ができます。放送は自主制作番組ですから町内での様々な出来事や、農産物の栽培管理方法などやさしく丁寧に指導が流れます。また当時の指導者は歯切れよい弁舌で、手をかえ品をかえして伝えました。「大山の理想の姿や農業者や商工、林業はかくありたい。大山の未来はこのような豊かで楽しい村の形が望ましい。必ず実現するものと信じてみんなで力を合わせて努力していこうではありませんか。」等々。そして具体的な農産物への取り組み、家庭や村の幸福論に至るまで365日、毎日連続で語られたのでした。戦後の日本が「情報化社会」という言葉を使い出したのは昭和50年頃からでした。大山農協が村内の住民皆さんが期待して喜んだ電話と音声放送が自主制作番組として流せる有線放送を開設したのが昭和32年でした。そうです、日本で情報化社会という言葉が使われ出すことに先駆けて、大山はその20数年前に大山流の情報化農村社会づくりを歩きはじめていたのです。

このような先進的な取り組みが他の地域と違っていたのではないでしょうか。

第七十七期通常総会での来賓挨拶