世の為 人の為

 令和8年NPC3月号組合長エッセイ

江戸幕府の終りの時代に生きた二宮金次郎少年を、地域の方々そして農業者の皆さんに知ってもらいたくて書きはじめたのですが、金次郎は56歳の時から二宮尊徳と名乗り、数多くの偉大な業績を遺しています。そのことを知れば知るほど驚きと感動で、興奮すると共にその人間力の奥の深さの虜になりました。先々月と先月号からの続きです。

明治27年には札幌農学校出身で著名な宗教家・評論家の内村鑑三が世界に向かって、わが国にはこんなすごい偉人がいると胸を張って代表的日本人を英文で発刊してます。選ばれたのは西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人です。西郷隆盛の副題は「新日本の創設者」二宮尊徳は「農民聖者」でした。この2人は時を超えて出会い、西郷は尊徳に敬意を払い生涯の心の支えとし、聖典真理として敬慕したのでした。小説家・詩人・画家・文化勲章、そして志賀直哉らと雑誌「白樺」を創刊した武者小路実篤も次のように残してます。「二宮尊徳はどんな人か。かう聞かれて、尊徳のことをまるで知らない人が日本人にあったら、日本人の恥だと思ふ。それ以上、世界の人が二宮尊徳の名をまだ十分に知らないのは、我らの恥だと思ふ。」尊徳は米作りを心底から愛していました。<春種を下してより、稲生じて風雨寒暑を凌ぎて、花咲き実り、又こきおろして搗き上げ白米となすまで、此の丹精容易ならず実に粒々辛苦なり。其の粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継ぐ。其の功徳、また無量ならずや>そうして尊徳は農作業を楽しみながら生涯、工夫し、考え続けた人でした。畑の草取りをする時であっても工夫を凝らしたのです。彼は書物の中からのみではなく、農作業の行動の中から真理を見つけていったのでした。尊徳の至誠の根本には、絶えず利他の精神が横たわってます。

令和5年3,4月号に「利他の心」「古典からの学び」で経営の神様と呼ばれた松下幸之助、稲盛和夫氏を綴りました。その2人の名経営者が経営においても人生においても崇拝して追い求めたのが二宮尊徳でした。

尊徳は生涯に六百余の地域、村々の再建復興を行い何万町歩(何万ha)の面積の田畑を開発して、皆のために多額の報徳金(今でいう地域振興基金)を蓄積しました。しかし死去したとき尊徳が所有する田畑は一坪もなく、私有、財産はまったく残っていませんでした。尊徳は自分のすべてを、社会のために捧げ尽くしました。ひたすら世のため人のために尽くした崇高な気宇壮大な偉人の生涯でした。

天地の和して一輪福寿草 咲くやこの花幾世経るとも      二宮尊徳

 尊徳は、少年時代に度重なる洪水で実家が没落し、父母が相次いでこの世を去るという、つらい体験を重ねました。そしてこの貧困から何とか逃れたいという思いから、貧困より富貴、飢饉より豊作をと、ありとあらゆる知恵と努力を苦使して“世の為人の為に、実践して働いてきました。その過程で、実生活に根ざした独自の思想理念を確立したのです。その実践思想は、明治になって渋沢栄一、安田善次郎、豊田佐吉をはじめ代表的な実業家に多大な影響を与え、戦後も、松下幸之助や土光敏夫、大原孫三郎、稲盛和夫らの多くの名経営者が、二宮尊徳を再評価して、その事業経営に大きく活かしたのです。尊徳は、日本的経営の真の原点を教示した、世界に誇れる巨人なのです。

尊徳に学び志や夢を描き、創意工夫を重ねひたむきに努力して豊かな家庭、豊かな農村を創り上げていきましょう。

 焚き木を背負い読書に励む金次郎少年