失われた農村を取り戻すには
令和8年NPC5月号組合長エッセイ
農村に人が居無くなり、自然環境の整備もさながら更に考えなければならないのは、日本の食料自給率の問題です。世界の人口は増え続けてます。今回の食料・農業・農村基本法の改正では、現在の食料自給率37%を2030年までに45%に高める目標を掲げてますが、農家の平均年齢は70歳近くになっている現実をみればあと10年もすれば農村は崩壊するのではないでしょうか。そうなっては絶対にいけません。都市生活者も含めて農村をどうすれば衰退せずに、共に生きる豊かさと温もりのある社会へと導くことを皆さんで考えましょう。失われたかけがえのないものを取りかえすにはどうしたらよいか。特異な民族学者そして農村指導者として庶民の知恵を発掘した宮本常一という方がいます。宮本の故郷は瀬戸内海に浮かぶ山口県の周防大島というところです。生まれたのは明治40年で昭和56年に74歳で他界しています。その宮本は日本の村という村、島という島をくまなく歩き貴重な記録を残しています。その工程は地球四周分に相当する16万キロにも及び、旅に暮らした日々は4千日を超え、泊った民家も千軒を超えたといいます。そして「歩く民俗学者・宮本」を物心両面から支え続けたのが、「近代日本経済の父」約500の企業や約600の学校や社会公共事業の設立そして支援に関わった渋沢栄一、その孫に生れた渋沢敬三です。皆さん方すでにご承知のように渋沢栄一は、3年前にNHKテレビ夜の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公としても取り上げられ、現在の一万円札の顔としても印刷されています。孫の敬三は東京帝国大学経済学部卒業後、横浜正金銀行に入行、その後第一銀行に移り、取締役そして副頭取を歴任し、1942(昭17)年に請われて日本銀行副総裁に転出、1944(昭19)年には第16代日銀総裁に昇任してます。その後は大蔵大臣も歴任したという祖父ゆずりの経済人でした。一方で学問が好きで、様々な学界を支援したことでも知られています。その宮本を物心両面から支えてきた敬三は「宮本君の足跡を日本地図の上に赤インクで印していくと、日本列島は真赤になる」と評したことは有名です。ノンフィクション作家の佐野真一が次のように残した記事を紹介します。
宮本は貧しい農家に生れ、15歳で島を離れ、叔父を頼って大阪に出て行くとき、父親が餞(はなむけ)の言葉として贈った10ヶ条の人生訓です。
①汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅についたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置場にどいういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところか良く解る。
今回は紙面が足りなく、10ヶ条の中の1条だけしか綴ることができません。小学校もろくに出てない父親の善十郎が、15歳で島を離れ出て行く息子に贈った珠玉の言葉です。次回に10ヶ条を綴ります。

活気があった平成初期の大山

