餞の言葉10ヶ条
令和8年NPC7月号組合長エッセイ
先々月の5月号で「特異な民族学者・宮本常一」の歴史の一部を綴りました。
宮本は瀬戸内海に浮かぶ山口県の周防大島の貧しい農家に明治40年に生まれました。15歳で島を離れ叔父を頼って大阪に出て行くとき、父親が餞(はなむけ)の言葉として贈った10ヶ条の人生訓があります。前々回は紙面が足りなく、10ヶ条の1条だけしか綴れませんでした。そうすると多くの方々から「早く10ヶ条を綴ってくれ。」と催促の言葉をいただきました。
15歳で島を離れて行く息子に小学校もろくに出てない父親の善十郎が贈った珠玉の言葉です。
①汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているのか、育ちが良いか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅についたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところか良く解る。
②村でも町でも新しく訪ねて行った所は必ず高い所に上って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見下すことで、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。高いとこから見ておいたら道に迷うことはほとんどない。
③金があったら、その土地の名物や料理は食べておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
④時間のゆとりがあれば、できるだけ歩いて見ることだ。いろいろのことを教えられる。
⑤金を儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
⑥私はお前を思うように勉強させてやることができない。だからお前には何も注文しない。好きなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。30歳まではお前を勘当したつもりでいる。しかし30すぎたら親のあることを思い出せ。
⑦ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里に戻ってこい、親はいつでも待っている。
⑧これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
⑨自分で良いと思ったことはやって見よ。それで失敗したからといって、親はせめはしない。
⑩人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。
大正12年4月18日、故郷の人々に見送られて島を離れるとき、父親の善十郎は息子、常一に向かってこれだけは忘れぬようにせよとこの10ヶ条の言葉を餞に贈ったのです。もし言葉に宝石というものがあるとすれば、これはまさしく宝石のような輝きをもった言葉でしょう。
ノンフィクション作家の佐野眞一は次のように述べています。
「失われたかけがえのないものを取り戻すには、どうしたらいいのか。人々がそう思いはじめたとき、珠玉のような言葉が胸に灯されたからこそ、宮本への注目がはじまった。」

旅する宮本常一

