バナナの実り、邪馬臺国

 先々月号「島原の子守唄」の続きです。
5月号を読んで、童謡「島原の子守唄」の出自(出どころ・うまれた経緯)がよく理解できました、とか「君の名は」という菊田一夫作の連続ラジオ放送劇(昭和27~29年)そして、のち映画化され、どちらも大ヒットしたことを、はじめて知りました等々たくさんの反響をいただきました。今日、長崎雲仙が観光地として成り立ち賑わっているのは、約60年前に「君の名は」の映画の舞台ロケ場所を宮崎康平先生が、原作演出監督の菊田一夫を強引に口説き落して伊豆半島の熱海から長崎雲仙に変更させたからです。先生の郷土島原半島を愛する強い憶いと、観光地に育てていこうとの先見性と情熱がそうさせたのでしょう。そのような先生の未来をみつめた企画、立案、実行力には、私も大いに学ばせてもらいました。
先生は、長崎県の酪農協会長もしていました。それは昭和27年にオーストラリアから百頭の乳牛を輸入して長崎県内の酪農家たちにお世話して、酪農の振興にあたったからです。そして毎年、県内の乳牛を集めて品評会があります。その審査会長も先生でした。そこに出頭した乳牛の一頭、一頭を体型から牛体の色艶、健康状態など丁寧に審査基準項目にそって審査をすすめていきます。この話を聞いた時、盲目の先生がよくそんな審査会長が務まることだと内心思いました。
すると先生はこう話してくれました。「時々、私が牛の体を撫でて『この斑点から思うに〇〇の血統だな』と言うと、たいていの人が驚く。そして異口同音に、『目が見えているのだろう』と言うのだ。いくら物好きでも、何年とめくらの真似をやって居れるものでない。タネを明かせば、黒い毛の部分は粗くて、白い毛は柔らかいのである」そしてこうも言われました。「黒い毛の部分はすこし体温が温かく、白い毛の部分は若干、冷たく感じるものだ」とも。大いに納得しました。また先生は、約3千平方メートル(900坪)の大きな立派なガラス温室を持っておられました。それは、「スウエン・ヘデインによって発見されるまで、タクラマカン砂漠の砂塵におおわれ、タリム盆地のロブノール湖畔に眠っていた楼蘭王国のように、邪馬臺国はきっと有明海沿岸のどこかに眠ってる。という考えの元に米という亜熱帯植物を自分たちのものとした古代人に近づくには、馴致(なれさせる)した米の栽培より、亜熱帯と温帯のすれすれまで成長できる、古代人の食べていたバナナや観葉植物を栽培することだ。もしバナナの実を自由にならせることができたら、植物の言葉もいくらか読みとれるようになるだろう。そして『バナナが実る日には、私の遠い邪馬臺国へもたどり着ける』と悲願をかけて作った」とのことでした。そのガラス温室は、先生の著書「まぼろしの邪馬臺国」によって日本中に邪馬臺国論争を巻きおこし、邪馬臺国・島原説を唱える先生ならではの発想を大いに裏付けようとするものでした。そこにはじめて案内されたとき、温室に入り感動しました。世界中の十数種類のバナナをはじめ、マンゴー、パパイヤ、アボカド、パッションフルーツ、晩白柚などが一年中、大温室の中に次々に実っているのです。
次号に続く

悲願の熱帯バナナを島原に実らせる