収穫の感謝と祈り

1975年(昭和50)4月2日(水)前日にハナン・ハレビ氏(キブツの大物実力者、元メギド町長)から「明日はガリラヤ湖までドライブをしよう」と誘われました。約束の8時に待ち合せ場所に行くと、直ぐに見送りの奥様マーサーと現われ、出発の時、二人は短い会話と軽いキスを交しました。老夫妻のやさしい自然の行動に羨ましくも微笑ましい光景を見たのです。このようなお互いを思いやる心の触れ合いを将来は自分も忘れずに、大切に記憶の中に留めておきたいものだとつくづく感じ、気持ちの良い出発となりました。ガリラヤ湖はキブツから北に50キロぐらいです。イスラエルでも大臣級の立派な指導者に案内される私達は、何と果報者であろうかと3人で話しました。キブツとの姉妹関係と友好交流の輪を築いてこられた治美名誉組合長をはじめ諸先輩方に感謝せずにはいられません。ガリラヤ湖の周囲は阿蘇大観峰のような景色でお椀の底のような所が湖となっています。きれいな淡水湖でボートで遊覧したり泳いでいる人もいます。この湖はイエス・キリストの初期伝道時代の活躍の舞台となったところです。イエスはこの水の上を歩いたともいわれ、それを見て弟子のペトロが続いて歩こうとしたが沈みかけます。おののくペトロにイエスが告げます「信仰が薄いから、駄目なのだ」と。本当に神を信じていれば歩けるというのです。ガリラヤ湖の遊覧船は料金が高いとお客が文句を言うと、船頭は「イエスが歩いて渡ったところですから」料金の高いのも当然のことと平気な顔です。「なるほど、こんなに料金が高くてはイエス様も歩いて渡るわけです」楽しいジョークを聞きました。湖をあとにして帰路イエスが少年時代を過し、成長したとされるナザレという小高い丘の上の街を案内されました。約2千余年前にイエスが歩かれたと思われる地を、私たちも歩いていると思うと感慨深いものがあります。そんな心に残る旅をしてキブツに帰ってきました。今宵はウェンズデーナイトホリディー(水曜日の夜の祝祭日)という催事が20時よりあると聞きました。私たち3名はアミタイ氏の家族の一員として招待されました。すぐ近くのテーブルにはハナン・ハレビ氏の家族が座っているテーブルもあります。会場はいつも食事しているダイニングホール。ホールの真ん中に舞台が作られ楽団員も着座しています。楽団が演奏する中を最初に10歳ぐらいの約50名の子供たちが「青い麦穂の束」を掲げて1,000名のテーブルの間を通って舞台に上り、青い麦穂を大きな花瓶に立てます。演奏は静かな曲に変り、そのバックミュージックで老齢の男女がホリディーのメッセージ(声明、伝言)を読み上げます。次は高齢の男性の音頭でブドウ酒による、豊作を祈る乾杯が行われます。乾杯が終ると各テーブルに並べられた多種多様のすごいご馳走にナイフが入れられ祈りの会の始まりです。会食をしながら中央の舞台では小、中、高校生、青壮年、婦人によるコーラスやダンスが繰り広げられました。そして入れ替り立ち替りでスピーチが繰り返し行われたのです。コーラスやスピーチにしても「麦の豊作に感謝と祈りを捧げる」事のようでした。このようにパーティーは22時まで続けられ、それからテーブルとイスを収納して、若者たちが主役となり徹夜で踊りあかし、朝方になると若者たちはテーブルとイスを元の位置に戻し綺麗に清掃をして引き上げました。
キブツの生活は新鮮さと驚きそして感動の連続です。

ハナン・ハレビ氏(右端の人)とガリラヤ湖で(1975年4月2日)