向かいのお山で猪が啼く

令和4年NPC8月号

 先月号の続きです。翌8日(日)には11時に先生を迎えに由布院・亀の井別荘内にある『雪安居』に行きました。そして5月の青葉若葉が目に沁みるような絶好の麦笛日和の下を、金鱗湖から流れ出る小川添いの小径を健太郎さんと三人で歩いて三百メートルぐらい先の「旅館玉の湯」を訪問しました。溝口薫平さんにお会いして、昨夜の慰労の挨拶です。昨夜はお酒も程程にすすんでから、垣添先生の期待と所望に添い、健太郎さんが興に乗り独特の所作と節回しでその地方の盆踊りなどに唄われる「口説唄」を延延と講釈を交えながら披露してくれました。「向かいのお山で猪が啼く、寒さで啼くのか妻呼ぶか、寒さじゃ啼かぬ妻呼ばぬ、明日はお山のお猪狩り。ソレエンヤー、ソレエンヤー、ヤトヤンソレサー」垣添先生もはじめて聞く「口説唄」に感動の言葉も出ないほどでした。そんな昨夜の想い出話に花を咲かせ、今度は薫平さんが送ってくれて、四人でいま来た小径を語り合いながら歩きます。「小川に鮒が、アッ鯰も泳いでいる。鮠も沢山いる、子供の頃はこの小魚を網や受籠で捕って焙ったり醤油で煮付けて食べてたなぁ」と少年時代を想い出して懐かしい気分に浸りながら『雪安居』に着きました。超人気の両宿は満室が続いています。私たちは後ろ髪を引かれる思いで米寿のお二人と別れの挨拶を交わし次の宿泊地、黒川温泉へと向かいました。

私がはじめてお二人にお会いしたのは昭和50年頃です。47年前になります。それから今日まで我が身の立場も考えず、不躾けにまた無礼に図々しく厚顔を顧みずに若気の至りで、お二人の奥深い懐に飛び込んで幅広い知識と心を学ばせて頂きました。そして大山の地域づくり、ムラのモノづくりや産品づくり私たち農協事業の中にも、その基本的な考え方や開発思考を取り入れさせてもらっています。私個人としては由布院の米寿のお二人には、けっして「足を向けては寝られない」と思っています。今日まで長い長いお付合いとご教示に感謝感謝です。時には私の過ぎた若き日の失敗談が笑い話のように組み立てられお二人から語られます。それもひとつではなく数々とあります。特に昔話をする健太郎さんは元東宝撮影所で、巨匠稲垣浩監督の下で助監督を務めただけに、物語りを面白可笑しく組み立て、それを巧みな表現力と話術で皆を笑いの渦の中に巻き込んでいきます。薫平さんは、やんちゃな子を見守る親のように横でニコニコと静かに笑っています。なんとも表しようもないお二人の仲です。もう一人由布院には忘れられない方がいます。山のホテル夢想園のオーナーであった、志手康二さんです。84年に51歳の働き盛りで他界されました。お元気ならば、今回のお祝いをご一緒できたのに本当に残念です。薫平さん、健太郎さん、康二さんは、とても仲のよい由布院の三賢人でした。私が、この方々から学んだのは、地域自らが個性と豊かさと次世代を考え、その土地で生きる人たちが誇れる暮らしの楽しさを創っていくことでした。この御三方との想い出はまだまだ沢山ありますが、またの機会にお話させて頂きたいと思います。

向かいのお山で猪が啼く、を口説き唄う健太郎さん